「子なしは、私だけの責任なのか」氷河期世代がいま抱える思いは
どうも。『毎日が祝日。』いわいです。
今日はネットで見かけたこちらの記事から。
朝日新聞に掲載された就職氷河期世代に関する記事です。
二人の人が登場しますので、ご紹介していきます。
私も就職氷河期世代の初期の頃に該当するので、同世代目線でコメントします。
就職氷河期世代の苦境は"自己責任"
まず一人目は首都圏で暮らす46歳の女性です。
非正規雇用の仕事を転々とし、年収が300万円を上回ることはなかったそうです。
就職活動では200社に資料請求して、面接にこぎつけたのは1割程度。
就職って女性のほうが圧倒的に難しかったと思います。
私が気になったのはこちらの一節。
メーカーに職を得たが、その後は派遣会社に登録し、数年ごとに職を転々とした。簿記や労務の資格を取ったり、ITや英文会計についての知識を深めたりしても、待遇は上がらなかった。
「メーカーに職を得た」ということは一応就職できたはず。
そして「その後は派遣会社に登録」したということは会社を辞め、正社員を手放したということでしょう。
これは自ら不幸を選んでしまった感があります。
最後に次のような一節が書かれていました。
国の規制緩和で大量に生まれ、増え続ける非正規雇用の一人として、「使い捨てられてきた」との思いが募る。「子どもをもてなかったのは、私だけの責任なのでしょうか。年をとり、ますます国から見捨てられていると感じる」
確かに政策的に増えた非正規雇用者の格差は私も一定の理解はしています。
しかし自ら選んでしまったのはどうでしょう。
気持ちは分からなくもありませんが、この女性の主張を全面的に受け入れられるかと言うと正直そうは思えませんでした。
「ずっと社会からはじかれてきたことがつらい」
もう一人は東北地方に住む55歳の男性です。
まず「55歳」と聞いた時点で「氷河期世代ですか?」と思ったのが率直な感想。
そして問題の一節がこちら。
30代の頃は大学の教員を目標に、非正規雇用で働いた。恋人がいたこともあったが、将来の展望が見えず、家庭を築くことは考えられなかった。
30代の終わりに教員をあきらめ、勉強を重ねて39歳で難関の国家資格試験に合格。不動産登記を代理で申請する事務所を営む両親らと働き始め、やっと貯金もできるようになった。初めて「自分も家庭を築けるかも」と思うようになった。
大学教員を目指した非正規雇用で働き続けたとのこと。
こちらの男性も自ら選んで非正規雇用の道を辿っているように見えます。
そして次の一節がこちら。
政府の少子化対策は、20代、30代が対象で、自分は蚊帳の外にいる気がする。「若い頃は結婚したくてもできなかった。ずっと社会からはじかれてきたことがつらい」と話す。
うーん、どうなんでしょう。
自ら蚊帳の外を選んでいたように見えるのですが。
あまり共感できない自分がいる
確かに二人とも境遇としては不憫に感じる部分はあります。
また「就職氷河期世代」全般として、他の世代より新卒時の就職は確かに難しかった点も理解しています。
それでも彼らに共感できない自分がいるのも事実です。
一番の理由は、私自身が運よく収入の多い方の側に立つことができたことだと思います。
スムーズに就職でき、さらに30歳を過ぎてから未経験で転職して、出世して収入もそれなりの金額になりました。
自ら積極的に動いたことで現在があります。
だからこそ、苦しい世代だったとはいえ「努力や戦略が不足していたのでは?」と思ってしまう自分がいます。
いわゆる「自己責任論」です。
いろいろな支援が必要だったはずの世代に何もなかったことに対する批判も一定の理解はしています。
おそらく今後も何の支援もなく、そして年金も減っていくという一生損する世代で終わるのだろうと思います。
まとめ
以上『「子なしは、私だけの責任なのか」氷河期世代がいま抱える思いは』でした。
いかがでしたか?
就職氷河期世代は本当に難しい世代だったと思います。
その中で就職できて、小さいながらも資産を築けたのは幸運でした。
しかしその運を引き寄せたのは自ら動いたことだったとも思っています。
何かをしないと望む結果は得られないのでしょう。
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