40代半ばにして自分の年齢を感じてしまったこと6選

どうも。『毎日が祝日』いわいです。

40歳を過ぎると、悲しいことに本格的に自分の年齢を感じることが増えてきます。

受け入れまいとがんばろうとしますが、どうすることもできません。

もはや老いは受け入れざるを得ません。

「自分も歳とったな~」と。

今回はそんながっかりしてしまった瞬間をご紹介していきます。

まだ20代・30代の人は、これから確実にやってきますので、心して読んでください(笑)

1.白髪が増えた

歳をとったと感る1つめは、白髪が増えたことです。

これは見た目で非常に分かりやすいです。

鏡を見るたびにセルフサプライズがやってきます(笑)

「あれ!?ここにも?」という感じです。

美容室に行くと、常に白髪の話になります。

ありがたいことに自然な増え方をしていて、まだまだ黒い方が圧倒的に多いので、白髪を染めなければいけないような状況ではありません。

ただ、元NHKの某アナウンサーのような急激な白髪の増え方をすると考えが変わるかもしれません。

なぜなら、さすがに40代であの白さはマズいと危機感を感じるから。

あと、思いもよらぬところに白髪が出てくると衝撃です。

最初に驚いたのは鼻毛です。

もう見つけた瞬間「!」です。

「こんなところも白髪になるの!?」

いや~、村山富市元首相を思い出しました。

そういえば、長い眉毛に白髪が生えていたなと。

ありとあらゆる毛が白髪になるのかと思いました。

そしてついに大きな声では言いづらいですが、下の毛にも1本発見してしまいました(苦笑)

「マジか・・・」

さすがに精神的ダメージは大きかったです。

これが「老い」か、と思わざるを得ませんでした。

2.体力が落ちた

歳をとったと感じる2つめは、体力が落ちたことです。

私の場合、海外のスポーツが好きで、その中の一つが欧州サッカーです。

欧州サッカーの試合時間は、日本時間だと夜9時から朝の7時の間になることが多いです。

となると、自分の見たい試合の時間がどうしても徹夜しなければならないような時間になることも多々あります。

だから普段は規則正しい生活をしているのですが、週末だけやたら不規則になっていました。

ただ、さすがにここ数年は睡眠時間を削ると、翌日の生活に差し支えるようになってしまったので、サッカーを見る時間が激減しています。

また、欧州サッカーの最高峰、UEFAチャンピオンズリーグは平日に開催されます。

そのため、日本時間の水曜・木曜の早朝におこなわれる試合を見るため、睡眠時間を削っていました。

ところが、ここ数年はチャンピオンズリーグは全く見なくなりました。

理由は簡単で、睡眠時間を削ってサッカーを見ると、完璧に仕事に差し支えるようになったからです。

パフォーマンスが落ちるのが自分でも手に取るように分かってしまうのです。

そして極めつけが、週末の金曜日の夕方です。

もはや体力が残っていません(笑)

もうクタクタ。

集中力も途切れ気味。

若いころはこんなことは無かったのに、本当にここ最近の週末はひどい状況になってきています。

3.老眼

歳をとったと感じる3つめは、老眼です。

私はもともと視力がよく、いまだ日常生活は裸眼でまったく問題ありませんでした。

ところがある日、突然目のピントが合わないときが生じ始めました。

「あれ?」と思いつつ、自分の手元から距離を調整してピントを合わせてみます。

すると、遠ざけたところでピントが合いました。

「あ~、良かった。ちゃんと見えた。ん!?も、もしや!?」

それ以来、手元で何かを持って見るときは、以前より距離を話して見ることになりました。

そして、その距離がどんどん広がっていきました。

さらに仕事でも支障を来しつつありました。

何と言っても小さな文字の書類が読めなくなりました。

身の危険を感じたのは、爪切りです。

手元でピントが合わないために、深爪になりそうです。

さすがに危ないと感じ、100均で激安の老眼鏡をゲット。

さらにネットでも格安の拡大鏡をゲットして、仕事にプライベートに日常生活を送る分には不自由なく生活できるようにはなりました。

最近の一番の苦労はスマホと読書でしょうか。

スマホを見るときは目一杯手を伸ばして、必死になって見ています。

電車で座ってスマホを見ているときは、おそらく両隣りの人に完全に覗かれていることでしょう(笑)

読書は本当につらいです。

日常生活では限定的に拡大鏡を使えばいいのですが、読書となると一定時間かけ続けることになります。

さすがに年齢を感じざるを得ません。

4.テクノロジーの進化についていけない

歳をとったと感じる4つめは、テクノロジーの進化についていけなくなっていることです。

仕事でもどんどん新しいツールを使うことになってきています。

コミュニケーションはメールからSlackへ。

しかし、あるクライアントはChatworkを使っているので、そのクライアントとはChatworkで。

他にも紙で提出していた申請書類が次々に電子化されていきました。

通常業務で使用していたExcelすら、共有しやすいようにとスプレッドシートへ。

名刺管理にもツールが導入されたり、社内の人事関連にもツールが導入されたり、交通費精算にもツールが導入されたり。

あたかも毎日のように新しいツールが導入されているような気がします。

もう訳が分かりません。

こうなると会社に長くはいられないなと感じざるを得ません。

就職氷河期世代がリストラの対象となり会社から追いやられるのは、何も年齢が原因だけではなく、時代の変化についていけず、未来を創っていくのにはふさわしくないと思われているのだろうなと感じました。

5.両親のことが心配になってきた

歳をとったと感じる5つめは、両親のことが心配になってきたことです。

おかげさまで両親はともに70代半ばで、まだ健在です。

二人とも大きな病気をすることもなく、今でも元気。

親父は車が好きで、田舎からいまだに車で東京へやってきます。

各地で高齢ドライバーの事故が増えているため、私は車で来るのを止めるよう言いますが、話を聞きません。

自分の運転技術を過信している節があります。

だから高齢ドライバーの事故がなくならないのでしょう。

一方で、田舎ゆえに車がなければ生活できないことも理解しています。

車がないならコンビニやスーパーマーケットへ行くのにタクシーが必要になってしまうような地域です。

二人とも元気なうちはいいですが、どちらか一方、特に車を運転できる親父が倒れたらどうなるのか。

お袋一人ではあらゆることに不便が出るのだろう。

いずれどちらか一方になるわけで、そのときどうするかも考えなければなりません。

以前ならあまり考えなかったようなことを考える時間が増えてきました。

6.涙もろくなってきた

歳をとったと感じる6つめは、涙もろくなってきたことです。

そんな両親が生きているのもそう長くはないということで、先日こちらの本を買ってきました。

読みながら泣いてしまいました。

特段両親のことが好きなわけでもなく、むしろ嫌って育ってきたのですが、さすがにいろいろな想いが頭の中を駆け巡りました。

両親に残された時間はあと1年かもしれないし、まだ20年残されているかもしれません。

その答えは分かるはずもなく、その時は刻一刻と迫っています。

だからここ最近考えていたことは、セミリタイアを名目に実家へ帰り、両親との最後の時間を過ごすことです。

田舎に帰って両親の最期を看取り、そして今一度東京に戻ってくるか、田舎に残るか、はたまたどこかへ行くか、むしろ東京もしくは東京近郊に親を呼ぶか、4択になっています。

ただし、セミリタイアをメインに考えるなら、親を東京に呼ぶのは住宅コストが高すぎるため、選択することはないでしょう。

また、本当に情けない話では、数年前に『恋するフォーチュンクッキー』のPVを初めて見たとき、気づいたら涙が出ていました(笑)

なんでしょう、あの感覚?

いろいろな人たちが出てきて、僕の好きだったレスラーの一人・小橋建太も出てきて、AKB48と一緒に踊ったりしています。

その光景を見ているうちになんとも言えない感情がこみ上げてきてしまいました。

個人的には冷静を通り越して冷徹ですらあった私ですが、こんなことで泣いてしまうとはと思いました。

歳を取ると本当にいろいろな変化が起こるものです。

まとめ

以上『40代半ばにして自分の年齢を感じてしまったこと6選』でした。

いかがでしたか?

人は老いに抗うことはできません。

変わりゆく自分と付き合いながら長い人生を歩んでいこうじゃありませんか。