「50歳をすぎたら”節約”をする必要はない」は信じてよいのか?
どうも。『毎日が祝日。』いわいです。
今日はネットで見かけたこちらの記事から。
「プレジデント・オンライン」に掲載された大江英樹氏の記事です。
毎度おなじみ、ちょっと庶民の感覚とズレた、おかしな記事を書く経済コラムニストです。
今回も波紋を呼ぶ記事が書かれていましたので、ご紹介していきます。
50代からは節約なんかする必要はない
私はこれまでも支出を抑えてきましたし、今後も最低限度の支出で抑えていくつもりです。
ところが大江氏は「節約なんか必要ない」と主張しています。
その理由は「節約をするとストレスが溜まる」からです。
記事では以下のように書かれています。
節約と無駄をなくすことは違うと言いましたが、何が違うかと言うと、「ストレスが溜まるかどうか」です。節約というのは欲しいもの、やりたいことでも我慢することになりがちです。例えば週1回家族で行っていた外食を月1回にするというのは楽しみが減りますし、欲しい洋服があって買いたくてもそれを我慢するというのはとても残念な気持ちになります。
これが若い時代であればそれもいいでしょう。何かの目的を達成するためにお金を貯めるという目標を立て、そのためにいろいろなことを我慢するというのはやってもいいと思います。しかしながら、年齢も50代になってきてやりたいことを我慢するというのは、どことなく寂しい気持ちになってしまいます。
なるほど、理解しました。
ここでのポイントは「節約」の意味です。
やるべきではない「節約」とやるべき「支出の削減」
大江氏が今回の記事で言う「節約」とは、効果の小さい支出削減策のことを指しているようです。
例えば以下のようなものです。
節約指南本にも出てくる誰もがよく知っている節約は、風呂の残り湯を再利用しようとか、家の電気をこまめに消そう、あるいは、使わない電気器具のコンセントを抜いておこうといったものです。たしかにそれでいくらかの節約にはなるでしょう。でも、家計全体から見れば本当に微々たるものです。
私も「風呂の残り湯の再利用」ははっきり言って意味を感じません。
水道光熱費の節約なんて微々たるものだからです。
では、大江氏は節約には否定的なのでしょうか?
記事を読めば分かりますが、節約には否定的ですが「支出の削減」を否定しているわけではありません。
むしろストレスのかからない支出削減方法を推奨しています。
それは「固定費の削減」です。
例えば、支出削減のド定番である格安スマホへの乗り換え、オプションの解約といった手法を勧めています。
要するに大江氏が推奨していないのは、一生懸命やっても効果の薄い節約のことを指しているのです。
支出の削減もほどほどに、お金は多少使うべし
大江氏は「50歳以降は支出の削減をするな」とは言ってませんでした。
「節約」と「支出の削減」を明確に区別して述べていました。
ポイントは「ストレス」でした。
何にストレスがかかるかは人それぞれ。
例えば、お風呂のお湯を洗濯に使うことに何の抵抗もなく、ストレスも感じないのであれば、それはそれでよいのではないでしょうか。
一方で、趣味に大半のお金を使っている人は大変かもしれません。
支出削減のためには趣味を削らなければいけなくなるからです。
しかし50歳ともなると、人生は完全に折り返し。
残された時間は身体が衰えていく中で楽しまなければいけません。
むしろ残りの限られた時間の中で「思い出作り」をすることも大切です。
老後のために支出削減する気持ちはものすごく理解できますが、死ぬときに後悔しない人生になっているかどうかはよく考えてみるとよいのではないでしょうか。
まとめ
以上『「50歳をすぎたら"節約"をする必要はない」は信じてよいのか?』でした。
いかがでしたか?
「節約」の意味をどう捉えるかによって解釈の変わるタイトルでした。
「支出の削減」という意味においてはやっておくべきです。
しかし、残された時間との兼ね合いで思い出作りには使っていくことも考えたほうがよいでしょう。
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