「頑張らない働き方」って何だろう?
みなさんは、仕事を頑張っていますか?
僕は現在40代半ば。
大学を卒業してから20年以上にわたり仕事をしてきました。
正直なところ、少し疲れました。
また、残りの人生をこのまま過ごして、65歳以降になってから好きなことをするという人生でよいのだろうかという疑問が生じました。
そこで、仕事をセーブしながら生きる、セミリタイアにたどり着きました。
これまでのような「頑張る」働き方はやめようと思います。
まだセミリタイアは実現していませんが、その準備を始めたところです。
僕はセミリタイアを考える過程で、「頑張らない生き方」というものを追求しようという考えに至りました。
今のところはまだサラリーマンですので、サラリーマンとしての残りの時間について「頑張らない働き方」というものを追求してみます。
では、そもそも「頑張る」とはどういうことなのでしょうか?
「頑張る」とはどういうことなのか?
「頑張る」という言葉は、辞書で調べると以下のように書かれています。
あることを成し遂げようと、困難に耐えて努力する
「困難に耐えて」というところが大いにひっかかります。
目標を達成するために「困難」に「耐え」なければならないのでしょうか?
当たり前だと思われるかもしれませんが、そう簡単に当たり前と受け入れたくない自分が存在しています。
これまで当たり前のように使ってきた「努力」という言葉も引っかかります。
「努力」とは?
では、「努力」とは一体どういう意味なのでしょうか?
辞書では以下のように書かれています。
目標の実現のため、心身を労してつとめること。
「心身を労して」というところが引っかかります。
心を体を使った、苦労してやれ、という意味にも思えます。
苦労はしたくないわけです。
ということは、「頑張る」ということは苦労が伴うものということですから、これは残りの人生を考えれば避けた方がよさそうだと考えることができます。
また、努力しているなどとおこがましいことを思っている時点でアウトでしょう。
自分で努力していると思っているということは、それに対する見返りを求めているということにつながりかねません。
そのような意識で行っている行動には何の勝ちもないでしょう。
あと、嫌なことから目を背けるだけでは生きている価値がありません。
そのためには何に目を向ければよいのか?
嫌いなことでなければ、「好きなこと」だったらどうでしょうか?
好きなことをする重要性
自分の過去を振り返ってみると、結果を出すことのできたことは、自分にとって好きなことだったことが多いということに気づきました。
その頃は、他の人から見たら苦しかったでしょうし、ものすごい努力を重ねてきたのだろうと思われがちですが、自分では全くそのようなことは思いませんでした。
なぜなら楽しかったから。
好きだから、何をするにも楽しかったのです。
その頃は頑張っていませんでした。
好きだから、どんどん前向きに取り組むことができました。
だから「頑張る」という感情にはなっていませんでした。
好きだから、努力もしていませんでした。
苦労もありません。
自然とやれるのです。
ということは、僕なりの「頑張らない働き方」としては、「好きなことをやる」という結論にたどり着きそうです。
まとめ
以上いかがでしたでしょうか?
自分でもまだまだこれからの研究課題。
考えがうまくまとまっておりません。
徐々に自分の中で体系立てて、「頑張らない働き方」とはいかなるものなのか、自分なりの回答を作っていきたいと思います。
まずは「好きなことをやる」という答えが見つかりました。
次は一体どのような答えを見つけることができるのか、自分でも楽しみです。