【感想】京都・醍醐寺展 真言密教の宇宙へ行ってきた!
今日は有給休暇。
ということは、"あの場所"へ行くはずだったのですが、前日から分かっていましたが、朝から雨。
そして、ほぼ1日雨。
雨の中、外で遊ぶのはさすがに嫌だったので、今日は別の場所へ行くことにしました。
雨なら建物の中で過ごすことのできる場所がよいということで、以前から気になっていた展覧会へ。
テレビCMも放送されていたので、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
平日の午前中から行けば空いているだろうということで、雨の中、朝から出かけてきました。
ちなみに、写真は撮り忘れました。。
京都・醍醐寺展 真言密教の宇宙の概要
正直なところ、醍醐寺と言われても、ピンとはきませんでした。
ただ、調べてみれば、歴史の上でも非常に重要な位置をしてるようなお寺ではありませんか。
仏像とかもありそうですから、これは面白そう。
公式HPを見ると、見どころが以下のように紹介されておりました。
1.大成功した中国展開催記念の展覧会!
2.国宝36件、重要文化財60件─貴重な寺宝を一挙公開!
3.深遠な密教美術の宇宙を体感!
4.豊富な白描図像~仏像・仏画の設計図と見比べる!
5.醍醐寺の繁栄と為政者との関わりを紹介!
先に中国で開催しているんですね。
あとは、国宝が36件もある。
さらに公式HPをよく調べてみると、会期の後半になると一部展示の入れ替えが発生する模様。
国宝をすべて見ることができるわけではなさそうです。
会場に到着し、受付でチケットを購入すると、エレベーターで4階へ上がってくれとのこと。(受付は3階)
他のお客さんとともにエレベーターに乗って、4階へ移動しました。
第一章 聖宝、醍醐寺を開く
公式HPに書かれた概要は以下のとおり。
平安時代・貞観十六年(八七四)、天智天皇の流れをくむ聖宝(八三二~九〇九)は、東大寺において諸宗を学んだのち、醍醐味の水が湧き出るという笠取山を見出し、草庵を結んで准胝・如意輪の両観音菩薩像を安置しました。醍醐寺の始まりです。
その後、醍醐寺は醍醐天皇をはじめ歴代天皇の帰依を受け、開創から数十年のうちに薬師堂や五大堂などの堂宇がつぎつぎと建立され、寺観は順調に整えられていきました。本章では、聖宝の肖像や伝記、醍醐寺の縁起などから、同寺の草創期を概観します。
エレベーターを降りて、まず最初に出迎えてくれたのは、如意輪観音坐像。
美しい。
厳かでもあり、穏やかでもあり。
いきなり一発目にこれだと、いやが上にも期待値が高まります。
その次に来るのは、空海像。
ご存知、真言宗の開祖です。
教科書などでよく見かける絵とは少々異なるものでした。
そして、聖宝の坐像。
醍醐寺を開いた人だそうです。
正直存じ上げませんでしたが、立派な像でした。
第一部はこんなものかと思いきや、実は後でサプライズがありました。
第二章 真言密教を学び、修する
公式HPに書かれた概要は以下のとおり。
加持祈祷や修法(儀式)などの実践を重視した醍醐寺は、その効験によって多くの天皇や貴族たちの心をとらえました。真言密教の二大流派のうち小野流の拠点となり、多くの僧が集まる根本道場と位置付けられた醍醐寺には、修法の本尊として欠くことのできない彫刻や絵画、修法に用いる仏具、修法の手順や記録などを記した文書や聖教などが蓄積されていきました。
いまに伝わる寺宝の数々は、千年以上もの間、醍醐寺が人々の願いに応えて修法を続けてきたことを示しています。
第二章でまず目を引いたのは、帝釈天像と閻魔天像。
帝釈天は象に乗っていて、閻魔様は牛に乗っていました。
2体とも大きめの像で、迫力がありました。
それから、両界曼荼羅図。
こちらは国宝。
曼荼羅図って、何度か見たことはありましたが、また趣の少し違う大作でした。
そして、何といっても最大の目玉の一つ、国宝、五大尊像。
金剛夜叉明王、降三世明王、不動明王、軍荼利明王、大威徳明王の5体を描いた絵が並びます。
圧巻。
これだけのサイズの絵を5つならべているのを都内の展示ではあまり見たことがありません。
これは素晴らしい。
こちらの五大尊像は、前半期間のみの展示のようですから、見たい方は10月15日までに足をお運びください。
さらに、白描図という下書きのような、色付けされていない絵の展示もありました。
これも珍しい。
このような絵はあまり見たことがありません。
僕は、仏像とかが好きなので、絵の方はそこまで興味があるわけではないのですが、これは面白いと思いました。
そして、今回展示されていた絵の中で一番興味を持ったのが、十巻抄の書物の中に描かれていた挿絵です。
今回の展示では3つの絵を見ることができたのですが、これが精密。
ちょっと驚きました。
その先には、五大明王像が展示されています。
先ほどの五大尊像が絵だったの対し、今度は木造です。
思わず一旦戻って、絵と比較してしまいました。
五大尊像は前半戦のみですが、こちらの五大明王像は期間中ずっと展示されています。
それにしても、ここまでで気づいたことは、今回の展覧会の展示物が総じて大きめであるということ。
非常に見やすくてありがたいということと、全体的に迫力があります。
そして、第二章が終わりだと思い、部屋を出ると、第一章の入り口に戻ってきました。
その先に階段があり、その下へ行くと第三章です。
階段を降りようと歩いて行くと、その瞬間、目に飛び込んできたのが、薬師如来坐像。
うおー!でかい!
大迫力。
両脇侍像の2体とともに並ぶ薬師如来を前に、思わず立ち止まってしまいました。
これ、展示作品でいえば、実は第一章に分類されていました。
いやー、ビックリ。
とにかく、ここまでなかなかの満足度です。
第三章 法脈を伝える-権力との結びつき-
公式HPに書かれた概要は以下のとおり。
修法が多く行われるようになると、各密教僧の間で異なる修法次第が生まれ、醍醐寺内でもいくつかの法流がつくられました。その中で中心となったのは、十四代座主の勝覚が創建した醍醐寺三宝院を拠点とする三宝院流です。同院の院主は醍醐寺座主を兼ねることも多く、足利尊氏の政権における賢俊や、足利義満以下三代の将軍に仕えた満済など、彼らが座主として時の為政者から帰依を受けることで、寺は繁栄を遂げてきました。
法脈の相承と繁栄の歴史を、文書・書跡からひもといていきます。
最初に並ぶのは、当時の有力な僧侶の絵。
さらに奥へ進むと、国宝級の書物がズラリと並んでいます。
筆者は、織田信長、後冷泉天皇、後醍醐天皇、足利義持など。
観応の擾乱のころに足利尊氏をどうのこうのと書かれた書物などを見ると、歴史を感じます。
第四章 義演、醍醐寺を再びおこす
公式HPに書かれた概要は以下のとおり。
十六世紀末に第八十代座主となった義演(一五五八〜一六二六)は、豊臣秀吉などからの保護を受け、戦乱により荒廃した伽藍の復興整備を進めました。秀吉最晩年の慶長三年(一五九八)春に催された醍醐の花見は、桃山時代の華麗な文化を象徴的に表すできごととして広く知られます。また義演は醍醐寺伝来の厖大な古文書・聖教の書写整理を行いました。『義演准后日記』には、近世初期の変革期の京都において、義演と醍醐寺が重要な役割を果たしていたことが克明に記されています。慶長年間に造営された三宝院表書院障壁画の金銀に彩られた襖絵や、俵屋宗達をはじめとする諸流派の絵師が描いた屛風は、当時の醍醐寺の繁栄をよく伝えています。
最後は、豊臣秀吉に関連する展示がありました。
醍醐の花見って聞いたことがありますね。
豊臣秀吉の最後の花見になったと言われています。
大きな障壁画、図屏風などが展示されていましたが、ちょっと最後のインパクトとしては弱かったですかね。
京都・醍醐寺展 真言密教の宇宙の感想
以上いかがでしたでしょうか?
あまり知識を持ち合わせていなかったこともあり、大変興味深く見ることができました。
五大尊像と薬師如来には、圧倒されました。
京都にはまだまだ知らない歴史的に重要なお寺があるものですね。
また、平日の午前から行ったせいか、館内は大変空いており、非常に見やすい状況でした。
ぜひ興味を持った方は、サントリー美術館まで足をお運びください。