親ガチャの当たりを引けなくても準富裕層にはなれる
どうも。『毎日が祝日。』いわいです。
最近「親ガチャ」という言葉を見かける機会が増えました。
一体何のことか分からなかったのですが、調べてみて「何だかな~」と思いました。
「親ガチャ」とは?
「親ガチャ」とは、子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」という表現のことを指す言葉です。
ゲームにキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方です。
生まれてくることをゲームになぞらえるとはいかにも現代的な表現のように感じます。
一方で現在の日本では経済格差が徐々に顕在化し、固定化しつつあるとも言えますから生まれつきに抱える格差に不満を抱く人が現れても仕方ないのかもしれません。
結局すべてにおいて「運」はつきもの
生まれて以降もいろいろな場面で運の要素は多少なりとも絡んできます。
受験、就職、結婚などなど。
健康や災害、事故なんかも運の要素が多分に含まれます。
言い出せばキリがありません。
では運が悪ければそれで人生を諦めるという話になるのでしょうか?
自分の努力でカバーできる
いや、諦める必要はないでしょう。
私も決して裕福な家庭に生まれたわけではありませんし、普通レベルの国立大学しか言ってませんが、一応準富裕層クラスの資産を抱えるまでにはたどり着きました。
ここまで来れたのは私に「運」があったからだと思っています。
生まれた時点の「ガチャ」では引きが良くなかったかもしれませんが、その後の引きが良かったのでしょう。
しかし、資産を形成していく上では私自身の努力によるところも大きかったと思っています。
支出の多さに気づき、改善を進め、年間で360万円以上貯金できるようになり、6年で2000万円以上を貯めることができました。
1億円以上の富裕層に到達するにはやはり「運」の要素は必要ではないかと思いますが、アッパーマス層や準富裕層くらいなら誰にでもチャンスはあると思います。
現在の日本に生まれた時点で「当たり」では?
ただ、この「親ガチャ」について個人的には思うところが一つだけありました。
それは「現在の日本に生まれた時点で「当たり」なのでは?」という疑問です。
日本の中の経済格差に目を向ければ当たり・ハズレがあるかもしれません。
しかし、世界を見渡せば日本より貧しい国もたくさんあります。
同じ日本でも戦国時代や戦争をしている時代に生まれていたらどうだったか?
そう考えれば現在の日本で生まれた時点で十分「当たり」を引いたと言えるのではないでしょうか。
自分が当たりを引いていることに気づけていない人が多くいるのではないかと感じました。
そんなことを言うと、私は本当にハズレを引いた人のことを分かってないと批判されてしまうのかもしれません。
考え方は人それぞれでしょうが、私は当たりではありませんでしたがハズレとも思ってません。
ただ一つだけ言えることは、生まれてきた以上、現世を楽しまなければ損をするということです。
まとめ
以上『親ガチャの当たりを引けなくても準富裕層にはなれる』でした。
いかがでしたか?
すでに「親ガチャ」を引き終えた以上、もうどうすることもできません。
あとは自分の力でこじ開けるのみです。
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