【必見】40代で金融資産6000万円を達成できた7つの理由
どうも。『毎日が祝日。』いわいです。
先日ついに金融資産が6000万円を突破しました。
50歳になる直前、40代のうちに達成できました。
50歳手前で6000万円ですから、お世辞にも多い金額とは言えません。
しかし「家計の金融行動に関する世論調査」によると、40代で金融資産が3000万円以上の世帯は単身世帯なら6.5%しかありません。
2人以上世帯でも3.7%です。
よって、たったの6000万円でも上位に入ることは間違いありません。
今回は普通の独身サラリーマンがなぜ40代のうちに6000万円に到達できたかをご説明していきます。
理由1 新卒から貯金していた
まず1つめの理由は「新卒から貯金していた」からです。
私は就職してすぐに「先取り貯金」を始めました。
私の新卒当時というと25年以上前、1990年代後半で、ネットバンキングなどまだまだ全然整備されていない時代です。
当時の私は銀行の窓口まで足を運び、定期積立の手続きをしました。
貯金額は1ヵ月に5万円、ボーナス月は20万円、合計100万円を強制的に貯金するように設定しました。
銀行の定期積立の何が良かったかというと、預け始めると銀行の窓口へ行かないと引き出せないという面倒くささです。
引き出しにくさが強制力となって貯金を推進できました。
あとは定期積立分を差し引いた金額で毎月生活していけばよいのですが、そのためにやったことの一つが「家計簿」です。
初めての一人暮らしで、毎月5万円を貯金するため、支出の把握が必須であると考え、家計簿をつけ始めました。
買い物したら必ずレシートをもらい、ノートに手書きで書いていました。
レシートがないときは財布に入っていたレシートにメモをしたりして、漏れのないようにしていました。
結果としては、かなり長期に渡り続けることができました。
そして実際に支出の振り返りで役に立ちました。
あともう一つ私が毎月ちゃんと貯金できた根本にあることとして「物欲がない」という点は無視できないと思います。
元々何でもかんでも欲しがるようなタイプではなく、何か欲しいものを我慢して達成したわけではありません。
無理せず自然とお金が貯まっていったというのが事実です。
理由2 30代前半に副業収入があった
2つめの理由は「30代前半に副業収入があった」からです。
現在の私の考え方として副業はあまり推奨していないのですが、実は私個人としては副業をやっていた時期がありました。
目的は明らかにお金です。
副業で具体的に何をしたかは大変申し訳ありませんが、身バレ防止のため伏せさせていただきます。
収入を少しでも増やしたいということで、仕事から帰ると、ひたすら副業に時間を費やしました。
昼間は仕事、夜と休みの日は副業という二重生活が長きに渡り続きました。
そして努力の甲斐もあり、また当時は参入者がまだまだ少なかったこともあり、先行者利益を得ることができました。
収入は多い月で100万円以上になりました。
これは正直ラッキーだったと思っています。
理由3 30代前半で転職で収入がアップした
3つめの理由は「30代前半で転職で収入がアップした」からです。
ちょうど副業で結果が出た頃、そのまま独立開業も考えましたが、サラリーマンとして東京へ進出したいという想いのほうが強くなりました。
また、私が行きたいと思った業界はまだ地方は会社がなかったということも東京に出ていくのが良いだろうと判断した理由です。
30歳を過ぎていて、かつ未経験でしたが、無事に転職できました。
結果として年収がアップしました。
そしていち早く新しい業界に飛び込んだことで、先行者利益も得られたと思っています。
あと、私のような就職氷河期世代の人間は、新卒時に正社員として就職でき、さらに転職までできており、ラッキーだったと言えるでしょう。
理由4 転職以降に昇給して収入アップし続けた
4つめの理由は「転職以降に昇給して収入アップし続けた」からです。
転職してからは、サラリーマンとして結果を出すことを意識して業務に取り組みました。
そして、おかげさまで順調に昇給し続け、マネジメントする立場にもなりました。
結果としては、世間の平均年収よりは高い年収をもらうに至りました。
やはり収入の多いほうが貯金するには有利です。
上場企業のような大企業ではないため、そこまで大きな金額ではありませんが、独身が一人で暮らしていくには十分な金額はもらっています。
ところがです。
40歳のときの貯金は2644万円でした。
あれっ?と思いました。
「思ったほど貯金が増えていないぞ」と。
おかしいなと思って調べてみると、年々支出が増えているという事実に気づきました。
せっかく収入が増えているのに支出が増加し、貯金額が年々減少していたのです。
39歳から40歳になる1年間では貯金額が150万円を切っていたことに気づき、愕然としました。
そして「これではマズい」と一念発起することになったのです。
では、当時の私は一体何をしたのでしょうか?
理由5 40代に入ってから支出削減に取り組んだ
5つめの理由は「40代に入ってから支出削減に取り組んだ」からです。
貯金を増やすためには何をすべきかと考えた結果、答えは「支出削減」しかないと判断しました。
そこで、まずはド定番の「固定費の見直し」を行いました。
通っていたスポーツジムを解約したり、加入していた保険を解約したり、格安スマホに乗り換えたり、よくある支出の見直しを徹底して行いました。
そして、変動費も見直すべく、まずは「不用品の処分」を行いました。
結果としては、「不用品の処分」が私の貯金人生を大きく変えたと言っても過言ではありません。
「不用品の処分」のおかげで自分にとって必要なもの・不必要なものを見極められるようになり、無駄な買い物が激減しました。
そしてを除く1ヵ月の支出は8万円以下減少させることに成功しました。
気づけば1年で300万円を貯金できるようになり、40代にして資産増加スピードが一気に加速していったのです。
理由6 40代半ばから積立投資を始めた
6つめの理由は「40代半ばから積立投資を始めた」からです。
実は投資自体は30歳頃に始めていました。
当時は「デイトレーダー」という言葉が出始めた頃で短期投資全盛です。
当時の私もSBI証券の前身にあたるEトレード証券に口座を開設し、なんとなくの短期投資を始めてみました。
しかし、ルールも明確になっていない中途半端な短期投資では負けるのが必然でした。
そして、当時の取引の際に自分の「メンタルの弱さ」にも気づきました。
株を持ち始めたらドキドキして、株価の値動きが気になって仕方がありませんでした。
自分のリスク耐性の低さを理解した結果、投資からは一時撤退することにし、地道な貯金で資産形成していく道を選んだのです。
その後、10年に渡る沈黙を破り投資を再開させたきっかけは、NISAの登場でした。
このとき、改めて投資の勉強をして「長期・分散・積立投資」の有用性に気づきました。
そして「つみたてNISA」でインデックス投資を開始しました。
さらに米国株ETFのVYMも購入し、さらにVTIも購入。
徐々に金額を増やしていきました。
現在では投資信託・ETFで合計160万円ほどの評価益が出るに至ったのです。
ちなみに6000万円達成当時の金融資産の比率は、6000万円のうちの91.2%が現金・預貯金・債券でした。
私は投資ではなく地道な貯金で資産を増やしてきたので、圧倒的に現金・貯金の割合が高くなっています。
これでもだいぶ比率は上がってきたのですが、まだまだです。
しかも、投資した金額は350万円程度しかありません。
投資のペースは上げる予定ですので、投資額はこれから徐々に増えていくと思われます。
さて、ここまでの6つの理由で6000万円貯まってしまいました。
理由は7つですのであと1つあるのですが、実はこの最後の1つが意外と重要だったのではないかと考えています。
理由7 家の購入を先送りした
7つめの理由は「家の購入を先送りした」からです。
家の購入は人生最大の支出の一つです。
私は家の購入をせず、賃貸でずっと生活してきました。
理由は、将来のいろいろな可能性も考慮すると、家を購入すると、家に縛られてしまい、自由が制限されると考えたからです。
代表的な可能性は転職です。
家を買うと、新たな勤務先は家から通えるエリアに限定されます。
このような自由の制限を嫌い、家の購入を先送りしました。
結果として、多くの人が抱える住宅ローンという借金を抱えずに資産を増やせました。
ちなみに家については、老後に安い家を現金一括で購入予定です。
住宅ローンという重い十字架を一生背負うつもりはありません。
まとめ
以上『【必見】40代で金融資産6000万円を達成できた7つの理由』でした。
いかがでしたか?
最後にまとめです。
理由1 新卒から貯金していた
理由2 30代前半に副業収入があった
理由3 30代前半で転職して収入がアップした
理由4 転職以降に昇給して収入アップし続けた
理由5 40代に入ってから支出削減に取り組んだ
理由6 40代半ばから積立投資を始めた
理由7 家の購入を先送りした
人生50年、いろいろなことがありました。
6000万円という金額には一定の達成感はありますが、ゴールではありません。
次の目標は7000万円。
達成するのは52歳になった直後くらいの見込みです。
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