お金持ちと「FIRE達成者」は本当に”うらやましい人生”なのか?
どうも。『毎日が祝日。』いわいです。
今日はネットで見かけたこちらの記事から。
「東洋経済」に掲載されたFIREに関する記事です。
消費経済ジャーナリストなる肩書の人がFIREについて語っています。
いろいろと思うことがあったので、今回取り上げてみました。
私たちはなぜお金持ちになりたいのか?
まずは冒頭の一節からちょっと気になりました。
しかし、最近思うのだ。お金持ちになると、それほど幸せなのだろうか? 不労所得を手にし、経済的自由を得れば「上がり」なのだろうか? 資本主義は永遠に栄えていくのだろうか。そもそも、どうして我々はお金持ちになりたいのか。その真理を解きほぐしていくと、もっと違う幸せへの扉が見えてくるかもしれない。
あなたは「お金持ち」になりたいですか?
お金持ちになりたいかどうかは、一つは「欲」ですよね。
物欲が強く、あらゆるものが欲しいからお金持ちになりたい。
そして、もう一つは「仕事」です。
「仕事から逃れたい」という想いでしょう。
私も「欲」と「仕事」からお金持ちになりたいです。
しかし、孫正義や大谷翔平は「お金持ちになりたい」と思っていたでしょうか?
おそらく思ってないんですよね。
思っていたら、もう仕事を辞めていいはず。
彼らにとって大事なのはお金じゃないんですよね。
結果としてお金がついてきただけ。
「FIRE」生活は幸せなのか?
一方で、昨今ブームになった「FIRE」はどうでしょうか?
筆者のFIRE観は以下のとおりです。
実現にはまず25年分の生活費を貯めるところから始まる。年間300万円かかるなら7500万円だ。それを年利4%で運用できれば元本を減らすことなく、生活費を賄い続けられるという理屈だった。一時はこの「FIRE」こそ、幸せへの扉と思われたものだ。
しかし、この考え方だと最初に決めた生活費以上に贅沢はできない。たとえ運用が順調でも、この先も4%で回していけるかはわからない。一見うらやましいFIRE生活を実現したとしても、使えるお金には縛られるし、つつましく節約生活をしていくことになる。
世の中の多くのFIRE民は、孫正義や大谷翔平のような超富裕層ではありません。
富裕層でもなく、下手すると準富裕層でもなかったりします。
だとすると、筆者の指摘とおり節約生活は避けられません。
世間的な早期リタイア者のイメージとしては、悠々自適な暮らしなのでしょうが、上記のようなFIRE民はそのイメージとはかけ離れた質素な生活になります。
私自身としても早期リタイア後は支出を意図的に増やしたいと考えています。
人生の残された時間は存分に楽しみたく、貯めたお金は使い切りたいからです。
やはりお金を使って、お金の持っている価値を活かしたくないですか?
たまには旅行したり、高級な食事をしたりとか。
しかし、特に少資産でのFIREだとその余裕はないでしょう。
お金がすべてではなく、嫌な仕事から逃れ、気ままに生きられるなら本人としてはそれで十分かもしれません。
結局は本人の価値観次第です。
お金持ちは生活コストが増え、社会的責任が増す?
あと、気になったのは筆者のお金持ちに対するイメージです。
お金持ちになると、100円ショップ、業務用スーパーやドンキに行くことは減るだろう。食材を日常的に高級スーパーやデパ地下で買い、子ども服もブランドショップメインでそろえるかもしれない。それだけでも、生活コストがとてつもなく高い。
子どもの習い事も一流の先生を探し、学校だって学費のかかる有名私立を選ぶことも多くなるだろう。それも幼稚園や小学校から。そうなると、親同士のお付き合いも大変だ。お迎えの車はベンツ、ママ友とのお茶に1万円超えのアフタヌーンティー、着ていく服もコスメもバッグはおおむねハイブランド――などと、果てしなくお金がかかる。
何か古いお金持ちのイメージのような気が(苦笑)。
こちらも本人次第かと。
ステータスが上がって、見栄を張れば引用したような生活になるでしょう。
一方で、地道に積み重ねた自覚のある富裕層なら、収入が増えて資産が増えても生活レベルを上げたりしないはず。
FIRE民も上記のようなお金持ちの生活に憧れることはないのではないでしょうか。
憧れるとしたら、資産の多さから来る「選択肢の多さ」ではないかと思います。
私もそうですし、少資産FIRE民もガンガンお金を使いたいとは思っていないはず。
ほどほどに自分の幸せを感じられるところでお金を使えればそれでよし、くらいな感じなのではないかと。
FIREは「うらやましい」と思われない
ということは、FIREは他人からしてみたら「うらやましい」とは思われないでしょう。
唯一、「会社を辞めた」点だけストレスの観点から「うらやましい」と思われるかもしれません。
しかし、実態として「自分のやりたいこと」を優先して会社を辞めており、働いている人も一定数存在しています。
だから「FIREって何?」という感想を抱かれるのが実際なのではないでしょうか。
ただ、他人がどう思おうと勝手というのが本音でしょう。
私は少資産の貧乏FIREについては否定的ですが、本人からしたらどうでもよいわけでして。
大事なのは自分の価値観であり、他人からの評価ではありません。
周りはいろいろと言うとは思いますが、気にしないことです。
それにしても、FIREはなぜこういう議論が起こるのでしょうか?
それは基準が明確ではないからだと思っています。
例えば「億り人」なら資産が1億円という明確な基準があります。
しかし、FIREはその人がFIRE達成と言えばFIREなので、FIREの形式も人それぞれです。
ファットFIRE、バリスタFIRE、リーンFIRE、コーストFIRE、どれも皆FIREと言えばFIREですが、実態は全然違います。
この辺り、世間一般の認知を得られる日は来ないのではないでしょうか。
まとめ
以上『お金持ちと「FIRE達成者」は本当に"うらやましい人生"なのか?』でした。
いかがでしょうか?
少資産のFIRE民は他人からうらやましいとは思われないでしょう。
本当に大事なのは、退職後にどのように生きるのかです。
周囲の評価は気にしなくても良いとは思いますが、社会にどう貢献するかは考えたほうがよいのではないかと思います。
周囲から評価されないのは「自分だけが良ければそれでよい」という生き方に見えるからではないでしょうか。
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