貧困より恐ろしい死に至る病…40代50代のサラリーマンを襲う「絶望死」のハイリスク
どうも。『毎日が祝日。』いわいです。
今日はネットで見かけたこちらの記事から。
まさにどストライクな年齢であるが故に思わずクリックしてしまったプレジデントオンラインの記事です。
「絶望死」という衝撃的な言葉の意味とは?
記事の中身を見ていくことにしましょう。
『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 』
まずは冒頭の一節から。
40代50代が迷っている。給与アップや出世の望みは絶たれ、「45歳定年制」「役職定年」「年収激減の定年延長」と暗い未来しか描けない。「働かないおじさん」以前に「居場所がない」のだ。約900人のインタビュー調査をした健康社会学者の河合薫さんは「この世代は若い頃の感覚のままの人が多い。すぐに意識変革をしなければ、絶望死の恐れがある」という――。(第1回/全5回)
※本稿は、河合薫『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
「45歳定年制」は率直に言って衝撃でした。
国は生涯現役のような方向性に進んでいましたが、経営者の考えているところは別方向を向いていました。
個人的には経営者として"あの人"は失格だと思います。
一方でパフォーマンスがどんどん落ちる社員をどうするかというのは経営側の視点からすると確かに面倒な問題だとは思います。
今回の記事は社員の側のほうがどうすべきかという視点の記事です。
そして以下の本をベースとした記事となっています。
「悠々自適」は本当にもはや死語なのか?
若い頃に夢見た「悠々自適」という言葉は死語と化し、もはや「人生の後半戦はいかにうまく下山するかが大事」との高度成長期を生きた諸先輩方の教訓もまったく役に立たない。
私たち今を生きる世代は、“下山”する余裕すらなく、ひたすら細い綱の上を歩かされている。なんで、この歳にもなって風が吹くだけで大きく揺らぎ、突風ですべてが吹っ飛ぶような綱渡り人生を歩まなきゃいけないのか。
「悠々自適」とは「俗世間のわずらわしさを超越して、心のおもむくままにゆったりと日を過ごすこと」(コトバンク)です。
FIREやセミリタイアを目指している人たちは「悠々自適」を目指しているはずです。
現在でも「悠々自適」な暮らしを手に入れた人はいますし、眼前に迫っている人もいます。
私の場合、おかげさまで一定以上の資産を貯めましたので、あとはいかに"下山"するかになりました。
しかし給料は増えず、年金は減る時代です。
残念ながら過去と比較して「悠々自適」な老後を送れる人は少なくなっているように思います。
「人生100年時代」は「生涯現役」、できるだけ長く働くことが推奨されています。
それは年金で老後の生活をカバーしきれなくなる可能性を示唆しています。
老後までに資産形成しておかないと長い老後を乗り切れないかもしれません。
そして安い年金頼みの貧乏生活に陥ることになるでしょう。
絶望死の正体
逆に、「私にとって生きにくい世の中だ」と慢性的に感じていると、その状態が人を“死”に向かわせることが最新の研究で確認されている。いわゆる「絶望死」だ。
絶望死は原語では Death of Despair と呼ばれ、2015年に「consumption, poverty, and welfare」の分析でノーベル経済学賞を受賞したアンガス・ディートンと夫人のアン・ケースが提唱した現象である。
「絶望死」という言葉は聞き馴染みがありませんが、アメリカで提唱された言葉でした。
アメリカでは社会への絶望により死を選ぶ人が増えているとの研究結果です。
医療の発達や生活の改善により、世界中で病気による死亡率が減少して平均寿命が延びているのに対し、先進国のアメリカでは中年の白人の自殺率と、薬物の過剰摂取、アルコール性肝疾患を死因とする死亡率が増加していた。そして、そのほとんどが大学の学位を持たない人たちだった。
特に自殺率の増加していた人たちは非大卒だったようです。
これは日本とは事情が異なりますから単純に日本の学歴と同様に解釈するわけにはいかなそうです。
学位を持つ人と持たない人の間には、賃金のみならず、仕事、家庭、コミュニティなど「生活世界」を分断する壁がいくつもあった。かつて非大卒の白人たちの生活世界に当たり前にあったものがなくなり、仕事の誇りや人生の意義を失い、生きる光が奪われていた。そんな痛みのある人生から逃れるために、薬物やアルコールにおぼれ、死に急ぐ人が量産されていたのだ。
仕事に対する誇りがなくなって、生きる意義を失っていく。
このあたりまで来ると、本当なのだろうか?との疑問は湧いてきます。
残念ながら本人に真相を問うことはできません。
日本人サラリーマンにも「絶望死」を選ぶのか?
私自身が「セミリタイア」「FIRE」という世界を目指してきただけに、対極にある世界を見るようで複雑な気分になりました。
あえて言うならば「絶望死」は40代50代だけに限らない話のようにも思えました。
この点については記事の連載が第5回まであることと、本も出版されていますから、これからいろいろと分かってくるものと思われます。
私自身が独身で人付き合いを好まない性格であるが故に、ピンと来ないところもあります。
「働かない」「居場所がない」、でも給料はもらえるなら良いのではないかとさえ思います。
給料が減っていくことに対しての抵抗感がある人は多いでしょう。
特に子どもがいる、ローンを抱えているとなればなおさらです。
その点、私は子どもはいないしローンもありません。
セミリタイア志向も単純に働くことに対しての嫌気が差しているだけです。
しかし、もしかしたらこれから絶望の序章が幕を開けるかもしれません。
まだ40代の後半で、これから50代を迎えます。
あと残りどれくらい残しているのか分からない会社員としての人生。
絶望だけはしないようもうしばらくの間はしがみついてみたいと思います。
まとめ
以上『貧困より恐ろしい死に至る病…40代50代のサラリーマンを襲う「絶望死」のハイリスク』でした。
いかがでしたか?
最後に本の目次を紹介しておきます。
序章 50歳、このまま終わりたくない……
第1章 「働かないおじさん」とパラダイム・シフト
第2章 「ゆるいつながり」のススメ
第3章 幸せへの6つの力
第4章 幸せへの第1の思考:自己受容 self-acceptance
第5章 幸せへの第2の思考:人格的成長 personal growth
第6章 幸せへの第3の思考:自律性 autonomy
第7章 幸せへの第4の思考:人生の目的 purpose in life
第8章 幸せへの第5の思考:環境制御力 environmental mastery
第9章 幸せへの第6の思考:積極的な他者関係 positive relationship with others
第10章 「HOPE」を探せ
終章 私たちの「幸せ」って何?
最後の「幸せ」って何?が重いです。
何のために働き、何のために生きるのか。
改めていろいろなことを考えるきっかけとなりそうです。
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他の人たちは1年間でいくら貯蓄しているのかをまとめました。
不思議なもので、どれだけお金を貯めても老後の不安は払しょくできません。
老後資金は3000万円必要とする説です。